子どもたちの元気と郷土料理の伝承が、地域の絆を深める。

世代を越えて郷土料理を伝え合う活動。
~「JAいるま野」(埼玉県)「武蔵野食文化推進者」の取り組み~

埼玉県狭山市立堀兼小学校

「今日は、みなさんが収穫のお手伝いをした小麦を使って、楽しく田舎まんじゅうを作りたいと思います。
それじゃ、作り方を説明しますね」『よい食』マークの真っ赤なエプロン姿の中田トシ子さん(69)が、約50人の子どもたちに優しく話しかけます。

ここは、埼玉県狭山市内にある堀兼小学校。同校の教室を使って開催されている週末スクール「ほりっこ」での「伝統料理教室」のスタートです。
多くの子どもたちにとって、買うことはあっても作るのは初めてのおまんじゅう。
小麦は、「武蔵野の小麦文化を後世に残そう」と地元の住民有志が結成した「小麦の会」の協力で、子どもたちが初夏に収穫した地元産小麦。まさに、一から手作りです。

まずは、生地づくり。卵と牛乳、砂糖水を混ぜて小麦粉に流し込み、耳たぶほどの柔らかな生地ができあがると、今度は、ひとりひとり、生地をちぎって手のひらに乗せ、星形やハート形、動物の形など、思い思いのおまんじゅうを作っていきます。
友達とわいわいはしゃぐ子どもたちは、まるで粘土細工で遊んでいるように楽しそうです。最後に、蒸し器で蒸すこと約10分。
フタを開けると、湯気のなかには、ひとつとして同じ形のない、淡いクリーム色のおまんじゅうが並んでいました。

「蒸し上がったら、すぐにうちわで扇ぐと、照りが出て、とってもおいしいおまんじゅうに仕上がりますよ」という中田さんの言葉に、今度は夢中になって、パタパタとうちわでおまんじゅうに風を送ります。
その様子を見ながら、「子どもたちが、すごくにこやかな顔で、私までうれしくなりますね。
小麦粉をこねるときに、水加減が不安かなあと思ったのですが、まあまあの仕上がりだったかな。
すごく上手にできたと思います」と、中田さんも楽しそうな笑顔を浮かべました。

武蔵野食文化推進者のみなさん。(前列右端が中田さん)

中田さんは、狭山市の農家。23歳で結婚し、以降46年間、夫とともに野菜を栽培してきました。
JAいるま野の組合員でもあり、同JAで結成した「武蔵野食文化推進者」のひとりでもあります。
この日、中田さんと一緒に子どもたちの先生役を務めた3人の女性たちも、みな武蔵野食文化推進者のメンバーです。

郷土の食を伝承するために

今も武蔵野の面影を残す埼玉県狭山市は、東京から西北に約40kmの位置にあります。なだらかな丘陵地帯に連なる平地には、江戸時代に開拓された田畑や平地林が広がる、今も緑豊かな地域です。
かつては、小麦や大豆をはじめ、サトイモ、サツマイモ、ニンジンなどの根菜類を生産する純農村地域でしたが、都心へのアクセスが良いことから、高度成長期を迎えた1960年代以降、人口が急増。
新住民が増える中、それまで地域に根付いていた食文化も廃れ始めました。
他の農村と同様に、狭山市をはじめとする武蔵野と呼ばれる地域でも、さまざまな郷土料理が受け継がれてきました。
しかし、都市化の中、農家の家庭でさえも核家族化が進み、伝統料理が次世代に伝えられる機会は激減していったのです。

このままでは、武蔵野の食文化が消えてしまうと、危機感を持ったJAと農家の女性たちが、「家庭で伝えられなくなった伝統料理を地域で伝えよう」と立ち上がり、2002年に結成したのが、「武蔵野食文化推進者」です。
「次の世代に残したいレシピを集めて、まずは女性部内の若い世代に伝えようと、活動を始めたのがきっかけです」(中田さん)

次世代に残したいレシピの募集に、約30人の女性たちから、40種類を超えるレシピが集まりました。
たとえば、汁の色が真っ白になるほど大量の大豆をすりつぶし、出汁で伸ばした汁に根菜類を入れる“呉汁”。
根菜類をたっぷり煮込む“けんちん汁”。サツマだんごやサトイモおやき。
どれも、風土に育まれた食材を生かした、先人の知恵の凝縮された料理です。

世代から世代へー地域の未来を紡ぐ

全国各地のJAには、古くから女性の組合員(農家の主婦)によるグループ活動が盛んに行われてきました。農村部にあって、より文化的で豊かなくらしづくりのため、くらしの知恵から都会の流行まで、毎日を活き活きと暮らすために共に学びあう。
こうした活動がベースにあったからこそ、郷土料理を伝える武蔵野食文化推進者の取り組みは順調に軌道に乗ります。

さて、こうして中田さんたちが若い母親世代にレシピを伝える取り組みが始まって2年後、地域から協力を求める声がかかりました。
2004年度、文部科学省が、地域で子どもを育てる試みとして、週末に学校施設を利用する「地域子ども教室」推進事業をスタート。
中田さんの住む狭山市堀兼地区の堀兼小学校にも、週末スクール「ほりっこ」が開設され、子どもたちへの伝統料理の体験教室を開催しないかと打診があったのです。「私自身、生まれも育ちも、嫁ぎ先も堀兼地区という“ほりっこ”。役に立てるならぜひ」と、即座に引き受けました。
実際に始めてみると、今の子どもたちが、どれほど伝統料理を口にした経験がないかを目の当たりにすることにもなりました。
それでも、初めて口にする呉汁を「おいしい!」と言って食べたり、今まで食べられなかったニンジンを「食べられるようになった」という子どもの姿に、中田さんは、自分たちの活動の意味を改めて考えるようになったといいます。

「郷土の伝統料理は、まずいから消えているわけではない。作り手と食べる機会が減っているだけです。地味ではあるけれど、昔の味は、飽きません。私たちは、母や姉が台所に立つ姿を見ながら、当たり前のように、自然に作り方を覚えました。
家庭でとぎれた食文化の伝承を、地域でもう一度つなぎ直すのが、私たちの役割なのかなと思っています」(中田さん)

60代から80代という武蔵野食文化推進者の女性も、孫とほぼ同じ世代の子どもたちから「元気をもらう」と口を揃えます。
郷土料理の伝承を通じて、地域の“おばあちゃん”と“孫”をつなぐ、世代間の絆も育まれているようです。

近年、「地産地消」という言葉をよく耳にします。例えば、旬に多く穫れすぎてしまう作物を飽きないようおいしく「食べこなす」知恵。冬場など作物が穫れない時期に「食べつなぐ」保存法もそう。
考えてみれば、地域の風土に合った食材を生かす「地消」の技術は、その土地の風土にあわせて、それを産み出す農家の女性たちの生活の知恵が郷土料理という形に結晶して、受け継がれているものではないでしょうか。
母から子へ、子から孫へ、郷土料理の伝承を通じてつなぐ「絆」。当たり前のようでいて、今は失われつつあるこうした取り組みの一つ一つは、とても小さいものです。
それでも全国各地のJAでは、これまでも、そしてこれからも、世代と世代とをつなぎ、地域の未来を紡いでいく地道な営みが続いていきます。

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